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東京高等裁判所 昭和34年(ネ)158号 判決

控訴人(原告) 小滝イネ

被控訴人(被告) 神奈川税務署長

訴訟代理人 河津圭一 外三名

原審 横浜地方昭和三二年(行)第一八号(例集九巻十二号216参照)

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人が昭和三十二年五月十六日附で控訴人の昭和三十年分所得に関しなした更正請求を棄却する旨の決定を取り消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、控訴代理人において、「(一)、仮りに、控訴人の譲渡所得額から、控訴人が抵当権者に支払つた金三百万円を控除すべからざるものとすれば、控訴人は、右金三百万円を所得税法(以下「法」と略称する。)第十一条の三(現行法第十一条の四に該当する)の雑損控除額として控訴人の昭和三十年度総所得金額から控除さるべきものと主張する。右法条の雑損額中には盗難による損失額を含んでおり、昭和二十六年一月一日直所一―三二七国税庁長官通達「所得税に関する基本通達」によれば横領されて回収の見込がない場合の損失をもこれに含めている。控訴人が訴外小滝工業株式会社の訴外株式会社神奈川相互銀行に対する債務を担保するため本件不動産につき根抵当権を設定したときは小滝工業株式会社は順調に営業していたが、控訴人が前示三百万円を弁済した直前に支払不能の状態となり、控訴人は右三百万円を小滝工業株式会社に対して求償権を行使しても、これを回収することができないから、右三百万円は雑損として控訴人の昭和三十年度総所得金額二百六十万円から控除さるべきである。而して右雑損控除額を算入すれば同年度の控訴人の所得は皆無となるのである。もつとも控訴人は昭和三十年度所得確定申告書に右雑損控除の申告をしなかつたのであつて、原則的には雑損控除申告をしなければ、雑損控除を受けられないものであるが、控訴人は法定期間内に再調査並びに審査請求をなしたものであるから、ここに雑損控除の主張をなすことは妨げない。」と述べ、被控訴代理人において、「控訴人主張の本件求償権行使によつて満足され得ない損失は、「法」第十一条の三の「震災、風水害、火災その他これに類する災害又は盗難」による損失に該当しない。仮に右損失に該当するものとしても、雑損控除を受けるためには所得確定申告書にこれを記載することを要し、これを怠るときはその控除を受け得ないものであるところ、控訴人はその主張の雑損について右手続をしていないものであるから、本件訴訟において右控除を主張することができない。」と述べた外、原判決事実摘示(原判決添附目録をふくむ。)記載のとおりであり、かつ原判決六枚目表十一行目に「三二年五月一日附をもつて」とあるのは、「三二年五月一六日附をもつて」の誤記と認められるので、これを後者のように訂正の上、ここに引用する。

(証拠省略)

理由

控訴人が昭和三十年四月二十五日訴外日本水産株式会社に対し、控訴人所有の原判決添附目録(二)記載の土地(以下本件土地と略称する。)を代金五百六十万円で売り渡したこと、控訴人は被控訴人に対し昭和三十一年三月十五日控訴人の昭和三十年度分所得税確定申告として、課税所得総額百四万九千七百円、所得税額四十七万二千三百六十五円と申告したがそのうちにおいて、本件土地譲渡による譲渡所得額を、所得税法、租税特別措置法の規定に従つて計算し、二百五十二万一千四百七十四円と算出したこと、しかるにその後控訴人は被控訴人に対し昭和三十一年四月二十二日右申告の土地の譲渡所得税につき更正請求をなしたが、昭和三十二年五月十六日附の請求棄却の決定をうけ、控訴人はさらに昭和三十二年六月十一日東京国税局長に対し審査請求をしたが、同年九月二十七日審査請求棄却の決定があり、翌二十八日該決定の送達を受けたことは当事者間に争のないところである。

仍て控訴人の主張につき判断するに控訴人は先ず次の如く主張する。即ち本件不動産の売却代金は右の如く金五百六十万円であつたが譲渡所得額の算定に当つては、この金額より更に三百万円を控除したものを以て売却代金とすべきものであるとし、その理由として、抵当不動産は、抵当権の設定により被担保債権額だけ交換価値を減じているものであつて、本件不動産の被担保債権額は金三百万円だつたからだというのである。そして成立に争のない甲第一号証、第二、第三号証の各一、二、第四号証、第五号証の一ないし十四を綜合すれば、本件土地には、小滝工業株式会社の株式会社神奈川相互銀行に対する債務につき極度額三百万円の根抵当権が設定してあり、昭和二十九年六月二日これが登記を経由していたこと、本件不動産が右極度額三百万円の債務を担保するに至つたこと、控訴人は昭和三十年四月二十五日本件土地を日本水産株式会社に金五百六十万円で売り渡し、これが売却代金として受領した金額中の三百万円を以て、右債務を弁済し、同日本件土地に対する右根抵当権設定登記の抹消登記手続を経由した上、これにつき日本水産株式会社のための所有権移転登記を経由したことを認めることができる。

そしておよそ抵当権によつて担保される土地を売買するに当つては、その売買価格は諸種の要素によつて決せられるにせよ、一般的にはその抵当債務の額、買主が抵当権実行によつて当該不動産の所有権を失うべき危険性等を考慮に入れた上、何等の負担なかりせばその土地の有すべき客観的価格より減額されて決せられるのであるが、かくして決定せられた売却価格そのものを以て、譲渡所得に関する所得税法第九条第一項第八号にいう「総収入金額」に該当するものと解すべきである。従つてその売買代金より更に被担保債権額を控除したものを以て、「総収入金額」と認めるべきではない。されば本件の場合本件土地に設定せられていた抵当権の被担保債権の額をも控除して譲渡所得額を算出すべしとする控訴人の主張は理由がない。

次に控訴人は、控訴人が株式会社神奈川相互銀行に支払つた金三百万円は、「法」第九条第一項第八号の「譲渡に関する経費」にあたるから、総収入金額から控除して譲渡所得を算出すべきものであると主張する。よつて、この点を判断するに、譲渡に関する経費とは譲渡のために支出する周旋料、登録料など一般的に譲渡を実現するために直接必要な支出を意味するが、更に特定の場合において、譲渡を実現するため不可避的に必要な支出もこれに含まれるものと解すべきところ、前示甲第一号証によれば控訴人が日本水産株式会社に対して本件抵当付不動産を売却するためには、控訴人においてその土地の唯一の負担たる前示の抵当債務金三百万円を弁済してその抵当権を抹消し右不動産を全く負担なきものとしてこれを右会社に引渡すことを必要としたのであつて、控訴人がその約旨に従つて履行したことが認められるけれども、「譲渡に関する経費」とは、納税義務者が譲渡に関してなした出捐のうち納税義務者の実質的負担に帰するもののみに限られ、その出捐に伴つて納税義務者がその責任又は義務を免れ又は請求権を取得するが如きものを含まない趣旨と解すべきである。

従つて本件において控訴人が右金三百万円の支払をしたのは、控訴人として右不動産譲渡上必要な行為であつたにせよ、控訴人はこれにより株式会社神奈川相互銀行に対し担保供与者としての責任を免れ且つ小滝工業株式会社に対して求償権を取得したのであるから、右三百万円の支払は「譲渡に関する経費」に含まれないことは明かである。仍てこの点に関する控訴人の主張は理由がない。

控訴人は第三に、控訴人のなした株式会社神奈川相互銀行に対する弁済は、債務者小滝工業株式会社に対して求償権を行使しても、取立不能であるから「法」第十一条の三(現行法の第十一条の四に該当する)にいう「盗難に因り資産について損失を受けた場合」に準じ損失として総所得額から控除さるべきものであると主張する。しかしながら、「法」第十一条の三のいう損失とは、すべて納税義務者の意思に基かない災害又は盗難による損失であることは規定上明らかである。而してかかる損失を受けた者を他の納税義務者と同一の条件の下に所得税を負担させることは衡平の理念より見て適当でないので、かかる損失を蒙つた者に限り、その税の負担を軽減せしめるのが、同条の趣旨である。従つて本件において控訴人が小滝工業株式会社に対して有する求償権の取立不能が雑損控除に該当しないことは、いう迄もない。

そうだとすれば、控訴人の主張はすべて理由なく、右理由に基いてなした控訴人の更正請求を棄却した被控訴人の前示決定は正当であり、控訴人の本訴請求は失当として棄却を免れない。

よつて本件控訴は理由がないものとして棄却し、控訴費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十五条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 松田二郎 猪俣幸一 沖野威)

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